薄っぺらな「コミュニケーションスキル」なんか消えろ!ってコヴィー博士も言ってるぜ?!〜abetakaakiblog
この人、なんか薄っぺらい
なんて思ったことはないだろうか?
本当に話を聞いているんだか聞いてないんだかわからないオーバーリアクションに嫌気がさしたこと、ないですか?
コヴィー博士は『七つの習慣』の中でこう言っている。
テクニックや手法だけで人を動かしたり、仕事をさせたり、士気を高めようとしたりすれば、長期において成功することはできない。
いずれは、その二面性によって相手に不信感が生まれるからである。
いくら人間関係を改善させるためのテクニックと使ったとしても、それはすべて相手を操ろうとしている行動にしかみえない。
基礎となる人格の良さがあってはじめて、テクニックが生きてくるのだ。
※『七つの習慣』初版13ページ
これは、『七つの習慣』導入部の「人格主義の回復」に書かれていたことなのだがもっともだと思う。
コミュニケーションスキルを使っていると思われる人々の胡散臭さや不信感といったものは基礎となる人格を知らないにもかかわらずテクニックを利用し基礎をないがしろにするからだろう。
コミュニケーションスキルといったものは、再現性のあるテクニックだからスキルさえ身につければ誰にでも使えると謳っていることが多い。
誰にでも、と主張していること自体が基礎となる人格を隠すことができると言っているようなもの。
コヴィー博士の分析でいう「個性主義」での成功は人間関係をスムーズにする手法やテクニックから生まれるものだと考えられるという。
つまり、
成功するには、人間関係をスムーズにする手法やテクニックを身につければいい。
だからこそ、人間関係をスムーズにするためのコミュニケーションスキルを身につければ成功に近づくというロジックになる。
実は僕の手元にあるライフハック系のノウハウ本、成功本の中にはテクニックやスキル満載のものが多い。
それらは成功するのに必要がないわけではなくあくまで二次的なものだとコヴィー博士も言っているように、オレたちもそれを理解して成功本を読む姿勢が大切なんだよな。
誰にでも通用するコミュニケーションスキルは裏を返せば誰にも通用していない。
使い手の信頼性とは無縁のテクニックやスキルからは真の人間関係の構築は全く期待できないのだよ。