「将棋連盟、谷川会長が辞任会見で語ったこと」を嗤う〜abetakaakiblog
”誰だ?!この記事書いたの、と思ったら東洋経済の記者だった”
でお馴染みの東洋経済オンラインに掲載されている
『将棋連盟、谷川会長が辞任会見で語ったこと』
toyokeizai.net
一連の不祥事で明らかになったのは、谷川会長は人の上に立つ者には向いていなかったということだ。ポストが人を作るということがままあるが、谷川会長においてはそういうことは起きなかったということである。
いろいろあるんだよね、裏側の事情は。
もちろん一連の事件での将棋連盟の対応は今となっては正しいものとは言えなかった。
それは確か。
三浦九段にとっては完全に冤罪となった結果だが、あの時点で「正しい」判断が出来たかどうかは谷川会長じゃない別の「人の上に立つ者」が出来たかというと疑問だ。
将棋ファン、棋戦の協賛会社、三浦九段への誠意を示すために辞任すると言いながら、辞任を決めた一番の理由が「心身ともに不調」では、三浦九段をはじめとした多くの棋士は納得しないにちがいない。会見は会長の体調不良を理由にわずか15分、質疑応答はたったの5分だった。谷川会長が説明責任を果たしたとは、誰も思わなかったのではないか。
企業の不祥事などの辞任ではほとんど場合、辞任した一番の理由なんてどうでもいいし、問われることがない。
なぜかと言うと、言えないこともあるから、話しはごく単純なんだよね。
心身ともに不調、だから辞めるでは納得いかない。
もちろん、棋界や将棋ファンの意思を代弁している気になっている記者にとっては納得いかないと主張しなければならない事情もわかる。
でもね、大切なのは結果なんだよ
谷川会長が辞めたという事実だけが、後世に残されるわけ。
メディアとしてはそんな陳腐な主張をするのではなく、例えば、三浦九段がこれからも続けるであろう真摯な活動を報告するなどして侵害された名誉の回復を図るといったことが将棋ファンの心を捉えるのではないだろうか?
批判をするのはとても簡単。
辞める理由はそれじゃないだろう
というのも簡単だ。
お前は人の上に立つ者として失格だな、と書くのも自由。
でもね、今回の事件を谷川会長の辞任会見を契機として全体像を把握するような記事のほうがよかったな。
誰の責任だ、どうだと主張するのではなく。
谷川会長が説明責任を果たしたとは、誰も思わなかったのではないか。
だから。
メディアを読んでいる者を代弁する体裁はとらないほうがいい。
第三者を利用して他人を批判する手法は、記事の作り方としてポピュラーではあるのだが、美しくないね。
正直に、「自分は思わなかった」と書いたほうがまだ好感が持てる。